オタクの大絶叫

よくしゃべるオタクです

オタクが推したちに抱く“かわいい”について



結論から言うと、オタクが言う「かわいい」というのは、シンプルに「愛おしい」という意味である場合が多いとわたしは考える。こういう時、言葉のプロフェッショナルであれば、様々な言葉が豊富に詰まった引き出しから丁寧に紡ぎ出した、哲学的な表現で納得させてくれるのかもしれないが、わたしの語彙の引き出しでは閑古鳥が賑やかに鳴いているため、申し訳ない。でも、多分わたしが普段他人に投げる「かわいい」はすなわち「愛おしい」を意味していると思う。

ではなぜ「愛おしい」と言わないのか? これもまたわりとシンプルで「そっちの方が怖くない?」という具合だからだ。「愛おしい」「愛しい」はなんというか、覚悟を持って言う言葉という印象があり、やはり、推したちの愛くるしさをカジュアルに表現するには、「かわいい」がもっとも適切でわかりやすい。

先日、あるVtuberが活動休止に入る際に「なんでもかんでも“かわいい”と言われる」ということを嘆いていた。わたしはVtuberには詳しくないものの、周囲にVtuberファンがかなり多く、すでに名の知れていたその彼のことも知っており、なんなら、友人の家で彼の生配信をまさしく「かわいい」という言葉を用いながら観ていた。初見ながら、彼はルックスも振る舞いも「愛おしい」と感じたからだ。彼の場合、恐らくファンの母数も相当であり、それに伴いわたしの想像を超えてしまうような意味を含む「かわいい」を向けられている可能性が高いため、あくまでも、このブログを書くに至ったきっかけの一つとして受け取ってほしい。

しかし、こういった“推される側”と、“推す側”が思い浮かべる「かわいい」のギャップは、たしかにわたしも昔から感じていたことで、ここ最近になり、上記の出来事もさらなる燃料となり、改めて考え直す機会が増えた。

わたしは一応ブログもやっちゃうくらい文章を書いては自分の考えを整理するのが好きなので、2022年もまもなく終わるし、「なんだか早口でしゃべってそうだな」という感じの文章で、この【オタクの「かわいい」と推したちが感じる「かわいい」、全然ちげ~のでは?問題】への思いをまとめていきたいと思う。

※いつもブログは「ですます調」なんですが、こっちの方が書きやすいので、多分かなり気持ち悪いだろうけど、こういう書き方をします。よろしくお願いします……。

 

 

オタク、なんでもかんでも「かわいい」って言っちゃうことについて

それこそ、KIRARI+*1でオタクがメンバーの一挙手一投足に「かわいい」と向け、メンバーが「かわいい?」と違和感をあらわにするシーンを見たことがある。これはまさに、上記の“なんでもかわいい”の件が起こったあとの出来事だったため、わたしが「かわいい」の扱い方に悩んでいたのもあり、正直心中穏やかとも言えなかった。
しかも、これは新メンバーのKIRARI+でのやり取りだったため(もちろん、彼もこれまでのファンから「かわいい」と言われたことはゼロではないはずだが、もしかすると比にならないような)猛烈な「かわいい」の嵐を一身に受けざるを得ない状態に切り替わったことが、少なからずストレスになっているのでは?、と思うと、胸が張り裂けそうでもあった。

ほかにも、彼に限らず似たようなシーンがこれまでも幾度となくあり、そのたびにわたしは「いや、そうじゃない、多分わたしが言いたい『かわいい』って、そうじゃな~い!」と思っていた。

あくまで推測でしかないが、最近経験した「かわいい」のズレには2パターンあり、一つは「『女々しい』にも近いニュアンスで受け取られた場合」と、もう一つは「ほかに然るべき表現があるのに、なぜその言葉(=かわいい)を選んだのか、という疑念を抱かれた場合」だ。
後者についてはもっともでしかないため特に言及しないが、わたしが引っかかるのは前者だ。「男性は『かっこいい』、女性は『かわいい』」。さすがに最近は変化しつつあるものの、一昔前は、これがスタンダードな褒め言葉だった。しかし、オタクが思う「かわいい」とは、性別による魅力とは別なところにある。ただ、この話を進める前に、わたしは推したちに言いたい。



あなたたちが“かっこいい”のは、もうそりゃそうでしかない大前提中の大前提



ということだ。でもわかる。言わなきゃわかんないよね。言葉に出してないのに「かっこいいと思っているのはもう24時間稼働の通常運転だからそんなのわかってよね」なんてことを言いたいわけじゃない。なお、ファンの全員が全員「かっこいい」を前提としているとは限らないので、あくまでわたしの考えだ。

話を戻すと、そもそも、「かわいい」は辞典に掲載されているだけでも数種類の意味がある。

dictionary.goo.ne.jp

1 小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま。

㋐愛情をもって大事にしてやりたい気持ちを覚えるさま。愛すべきである。「―・い孫たち」「出来の悪い子ほど―・い」「誰だって自分の身が一番―・い」

㋑いかにも幼く、邪気のないようすで、人の心をひきつけるさま。あどけなく愛らしい。「えくぼが―・い」「―・い声」

2 ほかと比べて小さいさま。

㋐物が小さくできていて、愛らしく見えるさま。「腰を掛けたら壊れてしまいそうな―・い椅子 (いす) 」

㋑物事の規模が小さいさま。程度が軽いさま。ややあざけりの意を込めていう。「校内で威張っているだけだから、まだ―・いものだ」

3 無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。「生意気だが―・いところがある」

4 かわいそうだ。ふびんである。

「明日の日中に斬 (き) られるげな、―・いことをしますると」


まあ、2の㋑や4のようにネガティブな側面を持つ「かわいい」を推したちに抱く人はそうそういないはずだが、個人的には、1の㋑や3のような、無垢で純粋そうなその言動やルックスに「かわいい」と感じるシーンが多い。
そして、上記のWebページを少し下にスクロールしたところに書かれた「近年は用法に広がりがみられる」の通り、最近は「かわいい」が、よくも悪くもかなり便利な言葉に変化していっていると思う。「ヤバい」と同様、言葉に悩んだ際に、自身のなかに渦巻く様々な感情をたった一単語で背負ってくれる包容力のある言葉となりつつある。

この考えを担保してくれるかのように、その下には、このサイトが募った読者からの様々な「かわいい」の解釈が連ねられている。本稿でわたしが語る「かわいい」の意味のように、推したちや友人、家族といった愛すべき人たちに向ける尊い言葉としてのニュアンスを持つ「かわいい」もあれば、なかには、「自分よりも美的格付けが下だと認識した際に発する暗喩」と、読まなきゃよかったぜ、と思うくらい辛辣な見解まで記されている。もう、女性的な可愛さとか、“男前”の逆、みたいな意味だけではないのだ。

それと同時に、「かっこいい」も「かわいい」ほどではないが、一筋縄ではいかない単語ではないだろうか。精悍な顔つきの男性が思いがけず愛くるしい仕草をしていればそれは「かわいい」し、童顔で華奢に見える女性が、スッと重いものを一緒に運んでくれたりしたら、それは「かっこいい」。「かわいい」モノやコトには誰にだって「かわいい」と感じるし、「かっこいい」モノやコトには同じように「かっこいい」と思う。その人のなかに備わっているのは、どちらか一方だけではないからだ。

言い訳がましくここまで「そもそも『かわいい』とはですね……」とフガフガ述べてきたが、それこそ上記の見解のひとつにもあった、「好きの表現違い」のように、「好き」とほぼ同等の意味合いで「かわいい」と言う人も決して少なくないだろう。もちろん、推したちが「かわいい」と言われることに訝しむ仕草を見せているだけに、開き直っても良いものか? と、なんとも複雑な気持ちは少なからずあるものの、やっぱりこの、わたしが贈った「かわいい」と、推したちが受け取った「かわいい」がズレていることに、一抹、いや、百抹程度の寂しさのようなものは感じる。



ヤバい。このあとで話すこともあわせて2,500文字で終わるつもりだったのに、ここまでで3,500文字近くなっちゃった。まだ続くので、休憩用に「宇宙ドライブ  -SUSHI ver.-」を貼っておくことにする。

 


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その「かわいい」は“大丈夫”なのかについて

はじめに、これは冒頭の件も含め特定の出来事に対する指摘ではないと前置きする。というのも、これは定期的に小さく小さく議論になっていることで、実際わたしも親しいオタク仲間に対し疑念を抱いたり抱かれたりしたシーンもそれなりにあったし、なんなら、わたしにも失敗した、と自責した経験は少なからずあるからだ。ここから先は、自戒も込めて考えを記していく。

前項では、「オタクの言う『かわいい』は『愛おしい』とか『好き』に近いよ」と、意味に対する見解を述べてきた。しかし、その感情の矛先が、オタクのようにほぼ無条件に推したちに肯定的になれる者ではない人間が見た時に、欠点にも見える可能性を持つ要素だったらどうだろうか。そもそも、“それ”を推したちは言及されてどう思うのだろうか。

推し方のひとつに「貶し愛」というものがある。極端な話「◯◯くんって、全然かっこよくなくてかわいい」のように、欠点、あるいは、ありもしない欠点を作り上げてそこを褒めそやす愛情表現のことだ。上記のような、悪口を愛情表現のように言い換えているパターン*2はさておき、オタクというのは、どうしても、推したちのなにもかもが魅力的で、まさに「愛おしく」見える。ルックスだったり、性格上のものだったり、日常的なちょっとした“失敗”そのものだったり、多分好意が無ければ悪い意味で目につく可能性すらある箇所に、なぜかひと際心を奪われる、ということがおおいにある。つまり、オタク自身は貶している自覚がないのだ。

ただ、わたしにもこの感覚は正直理解できるため、少しだけ擁護もさせてほしい。欠点になる可能性を持つ要素に魅力を感じている側は、むしろ長所だとも思っている場合もあるため、「貶している」と言われるのは予想外だったりする。この場合、貶し愛ではなく、本人の自覚的には「全肯定オタク」の方がむしろ近いのではないかとも思う。外からの見え方なら、言い方は悪いが「盲目オタク」であるとも言えるだろう。
もちろん、好きな人のすべてがきらめいて見えること自体に、咎められるべきことは一切ない。この状態になると、なんと言っても、とにかく幸せなのだ。

しかし、推しに限らず人間関係すべてに通じることだが、“言うシーン”はやはり弁える必要はあると思う。全肯定状態による危うい発言が黙認(あくまで“黙認”)されるのは、彼らからは全く見えないところや、見ようとしないと見えないところだけであると個人的には思っている。やはり、それこそKIRARI+などのように直接彼らに言おうとして発言するシチュエーションでは控えるべきかなとは思う。

 

とか言ったけど、考え過ぎずに考えてオタクしたい

もうわたしが顔真っ赤にして早口で唾飛ばしながら話している様子がありありと浮かぶような文章を長々と書かせていただいたが、ここはあくまで個人ブログなので、わたしの考えかつ、わたしが意識していること、でしかない。そもそも、決して「かわいい」そのものが問題なのではなく、文脈やシチュエーションを無視して発してしまうから見過ごせない、ということも多いだろう。それに、メンバー同士で「かわいい」を贈り合っているシーンなど無数にあり、彼らも「かわいい」が「愛おしい」やそのほか広義なものであることは理解しているはずだ。

見出しにも書いたが、いわゆる“推しごと”はどうしようもないほど“趣味”でしかないため、必要以上に考え込むのもそれはそれでよくないとも思っている。ただ、やはり推している対象が血が通った生きている人間である以上、常識や心遣い、道徳心だけは忘れずにいたいな、とは強く思っている。特にSNSは、あまりの気軽さに脳から直接アウトプットしがちになり、知らず知らずの間にわたしもメンバーを傷つけてしまったことも無いとは言えない。
せめて、その回数は限りなくゼロに近づけていきたいなと己を顧みつつ、推したちの愛おしさを「かわいい」の代わりに表現できる言葉を探すことにする。ふさわしい言葉が見つかるまでは、どうか「かわいい」で手を打たせてほしい。

 

*1:ファンコミュニティアプリ「ファニコン」をベースとしたEBiDANオリジナルのアプリ及びそのサービス

*2:「貶し愛」は、見え方としては正直アンチでしかなく、ファン内で嫌われることはほぼ避けられないので「推し方のひとつ」とは言ったが、基本的に選択肢には入れてほしくない